生涯生活設計の歴史

生涯生活設計の考え方の誕生 - 1950年代にアメリカから -

1950年代、高齢化社会となったアメリカでは、民間企業において、高齢者の早期退職を促すところが増え始め、その際に退職予定者に対する退職準備説明会(退職の手続きや退職後の福利厚生サービスの説明)を行うようになりました。

早期退職者が増加することにともない、退職後の生活環境が一変することの精神的な不安が、中高年齢層の勤労意欲や能力を低下させる傾向にあることがわかり、この不安を解消するための科学的研究が進みました。

この研究成果により、仕事中心の生活から余暇中心の生活へのスムーズな移行を目的とする退職準備型プログラムが誕生しました。

わが国における生涯生活設計の導入 - 日本では、1970年代以降から -

(1) オイルショック以降から

1970年代以降、わが国の高齢化は急速に進み、また昭和48年(1973年)のオイルショック以降、民間企業では、いわゆる減量経営が行われるようになりました。その状況下、勤労者の高齢化も進み、日本的経営の柱とされていた、終身雇用制、年功賃金制、企業内組合の三つの制度も変容を迫られつつありました。

特に勤労者の高齢化にともなう対策、定年年齢の延長、賃金体系の改定、資格制度の見直しなどのほかに、高齢勤労者の退職後生活への不安からくるモラールの低下、能率・生産性の低下傾向などから、さらに退職後の生活への精神的適応問題をいかにするかという観点からも、退職準備教育の必要性が痛感されるようになってきました。

このように急速な高齢化や社会的諸情勢の変化に対応するため、退職準備教育が徐々に行われるようになり、現在では上場企業の半数以上が退職準備型および生涯生活充実型セミナーなどを実施するようになっています。

(2) 公務員は、昭和60年の国および地方公共団体の定年制導入が契機

国および地方公共団体が生涯生活設計の重要性を打ち出した契機は、昭和60年に施行された定年制の導入といえます。

昭和61年6月に、人生80年時代にふさわしい経済社会システムの構築を目指し、政府が推進すべき長寿社会対策の指針として「長寿社会対策大綱」が閣議決定されましたが、この中で「定年退職後の生活設計を行う勤労者に対し必要な情報を提供する等の事業主等の援助を促進する」という内容が設けられ、この閣議決定により、国および地方レベルでの生涯生活設計の各種行政施策がスタートしました。

(3) 平成7年には、高齢社会対策基本法が施行

平成7年12月に施行された「高齢社会対策基本法」(第3条、第4条)では、「国および地方公共団体は高齢社会対策を策定し、実施する責務を有する」とされました。

また、同法第6条にもとづき、平成8年7月に閣議決定された「高齢社会対策大綱」では、「勤労者が高齢期および引退後の生活設計に向けての準備を行えるよう、必要な情報を提供する等の事業主等による援助を促進する」として、国としての支援の考え方を表明しています。なお、前述の「長寿社会対策大綱」は、「高齢社会対策大綱」が策定されたことにともない、廃止されています。

(4) 退職準備型から生涯生活設計型に

生涯生活設計の支援は、当初退職準備型プログラムとして誕生しましたが、その後、中高年齢層全体を通じた支援が重要である旨の方針が打ち出されました。

平成3年3月には、「国家公務員福利厚生基本計画」(内閣総理大臣決定)が策定されました。この中では、「職員の在職中から退職後にわたる生涯の各段階において充実した生活の実現を図り意欲的に取り組めるようにするために、財産形成制度の利用促進、職員の生涯を通じた生活設計思想の普及等を通じて、職員の生活設計の支援に努める」とされました。

また、平成4年4月「生涯生活設計プログラムの考え方について」(総務庁:現総務省)がまとめられましたが、この中では「45歳位の時が一番仕事が面白くて、熱中してしまい、家庭生活や自己の将来についてじっくりと考える機会に欠ける時期であることなどを考慮すれば45歳前後に実施することが望ましい」とされました。

文部省(現在の文部科学省)としても平成3年11月「教職員等に係る生涯生活設計推進計画の策定について」および「教職員等に係る生涯生活設計推進計画の策定要領」を各都道府県・指定都市教育委員会に通知しました。